日々是好日記

ミクロネシア連邦のポンペイでの暮らし

心の中の最良のものを

ココナッツミルクを作りたいと言っていたら、ウォッチマンのジョーさんが敷地内にあるココナッツをとってくれた。

中が綿になってるコプラ2つと少し乾燥させておいてくれたオールドになる前のココナッツ2つ。ジョーさんは中が綿のコプラでも出来るって言ってたけど、Simonのママは出来ないっていうし、人によって作り方も違うのかな。結局はコプラの果肉部分は硬かったから、柔らかいココナッツに穴をあけ、ジュースを出し、果肉をスプーンで取り、ジュースと共にミキサーへ。それを手拭いを使って縛るも目が細かいから、なかなか上手くいかない。現地の人はハイビスカスの幹の皮で絞るということが、とても納得。ミルクを絞った残りは炒めて、ココナッツファインに。こうやって作れるってとてもとても嬉しい。

ジョーさんが、私がココナッツを好きだということに、とても喜んでくれた。自分達の文化の食を作りたいって言ってくれて、嬉しいって。こちらこそ、たくさんヘルプしてくれて感謝しかない。

 

話は変わって、とてもとても黒い自分を子ども達に見せてるときがある。これまで誰にもこんな態度や言葉を発したことないんじゃないかってことを、子ども達に向けてる。誰にも見られてない家庭の中で、権力か何かを振りかざして好きにしてる。さくなんか、まだまだ言葉も上手く説明できない2才なのに。こんな姿見られたくないなーと考えてたら、そもそも人にどう思われるかが問題ではないし(だけど気にしてるから外ではしないし)、そして誰にも見られてない時にとるこの行動も自分の一面なんだしと思って、自分はこんなひどいことができる人間なんだって思い知らされてる。なにより、子ども達も私もそれを見てる。

どんな行動を取るのかは自分が選択している、と知っている。例えば、買ったばかりのアイスを子どもが落としたら、おもしろハプニングに捉える人もいるだろうし、何でちゃんと持たないの!と怒る選択をする人もいるかもしれない。

私は、とても後味が悪い選択をしてるときがある。育児でそういうときってあるよね、で済ませたくない。もちろん共感はとても救われる。だけど私の悩みや考えることやトラブルなんて、この人類の歴史上、何億回も生まれてきているはずで、ならば今、知恵を持って出来るだけ解決していきたい。これが習慣になりたくない。

私のケースでいえば、子どもに無理な期待をしてることがそもそもの根源。出来るはずと信じるのと、してほしいことを期待をするのは違う。成長は階段みたいに一つずつ登るものではなくもっと複雑で、三段跳びしたり、踊り場で休んでる時間もある。着実に成長するんだけれど。人のことはコントロール出来ないのに、こちらが勝手に期待をして、それが叶わないとその責任は相手にあるなんて、したくない。そして、子ども達を1人の人間としてリスペクトとした姿勢で言葉を伝えよう。人によって態度を変えない人でいたい。

…って分かっているつもりなんだけど、出来てない。何回も何回も繰り返して大切なことは自分で飲み込み続けないと、忘れちゃうんだろうな。

余裕を作ったり、ストレスを発散する時間があれば変わるんじゃないかとか、それももちろんそうだと思う。ただ、そんな時間が持てようと持てないだろうと、この真っ黒な自分が存在することは変わらない訳で、ならば、まずはその存在を認めないといけないのかな。嫌だけど。後味悪い選択をして、残りの人生でもやもやが残る時間を過ごすよりも、一呼吸して、まずは自分で自分に気をつけよう。

そして、さっき子ども達にだけこんな黒い姿見せてると書いたけど、そんな事はないと正直思う。きっとこれまでにも、色んな場面でちょいちょい漏れ出していたものだと思う。ちりつもだね。

 

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冷蔵庫にメモを貼った。インスタの子育て系の投稿をみて、真似してみた。ほんと、この通り。