日々是好日記

ミクロネシア連邦のポンペイでの暮らし

Orchid

とても大きな存在である方が亡くなった。日本人の方で、ポンペイの方と日本でご結婚されてから、ポンペイで50年以上暮らしてきた方。この前の木曜日にはお家に寄ってくださって少しお話をして、またね、と別れたばかり。土曜日に亡くなったとのことだった。心から残念でならない。ポンペイの人たちから本当に愛されて尊敬されていて、"オトウサン" ってみんな呼んでいた。

オトウサンは、最初にポンペイに来た時は夫婦でパン屋さんを営んでいたんだって。当時、船で食料が輸入されてきている船着場にたくさんの人が集まっていることから需要を感じて、販売店を始めたらしい。お店のスタッフもとても良い人ばかりだし、障害者雇用にも尽力されてた。もちろん私もたくさんお世話になったし、子ども達のことも、いつも気にかけてくれていた。オトウサンに尊敬の気持ちを伝えると、"ここで商売させてもらってるからね"  とポンペイで暮らしていることに感謝している言葉がいつも出てきた。ご家族のこともとても大切にされていて、離れてくらされていても、深い絆が感じられた。みんな、心から尊敬を抱いていたから、素敵な人ばかり集まっていた。

戦前は台湾に在住されていて、戦後の日本での暮らしのことをよく覚えている、と話されていた。オトウサンのお父さんが引いていたリヤカーを押した手の感触。小さい頃に歌っていた歌。子どもの頃の記憶で絶対に忘れられないものがあるんだよ、と話してくれた。教育を大切にされていて、ポンペイの学校にスクールバスを寄贈したり、障害者教育への支援も継続されていた。その他にも、ポンペイへの貢献から数えきれないほどの感謝状もいただいている。

私たち家族もお葬式と埋葬に参列させていただいた。すべてが、オトウサンの関係者の方で作り上げていくお葬式と埋葬。会場を準備するのも棺を運ぶのも杭を打つのもオトウサンの好きな花を添えるのも、全て忍ぶ方々。訃報をきいたとき、日本だったら救えたのでは、と正直よぎったこともあった。でもここで、こうして愛されているみんなから、一つ一つお見送りされて、させてもらえたことが、本当に幸せなんだと思った。オトウサンにも私たちにとっても。

眠ってるオトウサンはいつも通りかっこよくて、優しい口元だった。どうしても悲しい気持ちになるのは許してほしい。愛を込めてお見送りさせてもらえて、最後まで感謝しかない。