日々是好日記

ミクロネシア連邦のポンペイでの暮らし

子どものケガ

息子の足にヒビが入った。

12日(日)の昼にこけて泣き、パパーと言うので寂しいのもあるのかなと思ってた。

13日(月)朝まだ立ちたがらないので病院に行くと、脛にヒビが…痛かっただろうな。

ギブスして約2週間後の昨日、病院でレントゲンとると骨はOK、でも過度な負荷をかけないよう念のため簡易ギブスをもう2週間。

子どもはすごいなと思うのが、自分で工夫できるということ。

ギブス初日はずっと抱っこして移動してた。だけど、子どもも自分で動きたくなり、お尻やハイハイで上手に移動できるように。

松葉杖とかは使えないけど片足で上手に立ち、色んなことが出来るようになった。

キャンプや田植えにも行ったけど、草むらに座って虫と戯れてた。たくましい。

 

子どもだからと親が手伝いすぎることや、逆に出来てほしいことを要求したり(こちらの疲れとか気分とか状態もある)することがある。

私は特に子どもの食事の仕方に要求が高いのかもしれない。さく(1歳半)がぐちゃぐちゃになりながらも食べることには見守れるけど、そうすけ(3歳半)がご飯に集中しなくてこぼしたり食べなかったりご飯で遊ぶこと、つまり私の思う"きちんと"食べなくてイラっとしてしまう。そうすけは私の求めてる"きちんと"食べるときもあるから、本当は出来るでしょとかも思ってしまってる。

きっとそうすけはその時、食への意欲がないのかもしれない。食べたいときには食べるし。

出来る出来ないで行動をしてるのでなく、したいしたくないで行動してる。特に家では。だって保育園では完食してる。

私の思う"きちんと"食べる要求でなく、ご飯では遊ばないというラインは守って楽しく食の時間をとっていきたい。そのためにはその目の前のこと(きゅうり冷たいねとかお米綺麗だねとか何でもいい気がする)に目を向けていこう。

やっぱり"きちんと"とか"ちゃんと"とかの抽象的で主観的な要求の根拠は弱いな。好きじゃない言葉のはずなのに頭によぎる。

今回の足のヒビで子どもが想像を超えて出来ることがあるように、私が子どものことを全て分かっているなんてことはないし、彼らは所有物でもない。リスペクトする気持ちを大切にしよう。 って思ってるのに出来ないこといっぱい。

 

 

*書いてて気づいたこと

食事のときに私の要求メーターが動いて構えている自分がいる。これ、アシュタンガでも同じで苦手なチャトランガのときにビンヤサにない"行くぞ"の呼吸が入るときがある。おなじ感覚。