日々是好日記

2022年ミクロネシアに家族で住む。

ガラガラ棚

この前のビチビチヤモリ以来、窓を叩いて開けるようにした。開けますよーのつもり。

日曜日に船が着いた。船(協和の船)は約2週間おきに来るスケジュールで野菜とか日用品が輸入されてる。いつも同じものが輸入されるorその物自体が輸入されるとは限らなくて、色々なくなること(棚がガラガラ)もある。

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ポナペでも、もちろん魚とかバナナとか野菜とかもある。パンも作ってるけど材料の小麦粉は輸入。こう目に見えると、ミクロネシアも日本もその国だけで自分達だけで生活してるなんて事はないなと思う。小麦粉も、シャンプーも、運ぶ船も、石油も、バナナも、魚も、作った野菜だって、元を辿れば自分のじゃないなと思う。みんなどこかの誰かや自然が作ったり、守ったりして出来てるだろうなと。

船が来る直前には、野菜の棚はガラガラになることが多いけど、野菜が余って、スーパーの棚で腐っていくこともある。葉野菜は早く売り切れるけど、ピーマンとかカボチャとかはカビが生えやすいんだなと知った。腐ったその後廃棄してるのか、何かになるのかは分からないけど、それを見ると悲しい気持ちになる。

前は船が来たら野菜とか卵をまとめて買ってたりしたけど、今はやめた。あるもので、なくなったらなくなったで、生活する方が気持ちが楽な感じがする。スーパーの棚がガラガラだと、みんなで使い切れたと思って、ちょっと嬉しい(注文担当の采配ミスなだけで困ってる人もいるかもしれないけど)。"あれがあればなー"の考えはクリエイティブだし発展にも繋がるけど、欲に行きすぎるとキリがない。でも、何も持たないなんてできないし物欲もありまくるから、どんな風に自分が欲しいのかを一旦立ち止まって選択しようと思う。使わなくなったらどうするかとか。その方が楽な気がする。

日本でも廃棄の様子とかバンバン知らせていけば、ガラガラ棚の心地よさが生まれるかも。ザンビアから帰国してすぐ、夜のコンビニに入ったときに、明るすぎる電気とコンビニの棚のパンパンさに泣いた。母は嬉しくて泣いたのかと(今でも)思ってるけど、私は悲しかった。この暮らしは本当に豊かなのかという悲しさ。という出来事を思い出した。でも、日本で暮らしてるとすっかり慣れて快適になり、忘れてた。今度こそ、忘れないように、そう行動できるように少しずつなりたいな。